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《コミュニケーションについて》共感を持つことが大切(2001年9月掲載)
中澤 操(リハビリテーション科):秋田魁新報 2001年9月23日掲載
原点は共感を持つこと
10年前故郷の秋田に帰ってきた。それまでの東京やアメリカと違い「言外のコミュニケーション」に感心する日々が続いている。「言外」とは、ことばに表さなくてもわかる「あ、うん」の呼吸と言うべきか。たとえば診察室で、急に起こった症状でなければ、多くの人は「しばらく前から」と表現する。カルテに「しばらく前」と書くと、実際にいつからかは全く判らないので、患者さんには「しばらく前っていつごろ?」と尋ねる。すると「かなり前」とくる。そこで「かなり前って?」と尋ねる。今度は「だいぶ前だすな」となる。ついに私は「1週間前、1ヶ月前、3ヶ月前、半年前、1年前、5年前、10年前、どれがいちばん近いか教えて下さいな」と聞き、当惑する患者さんからやっとそれらしい回答を引きだし、次の質問に移る。
この話を読んで、患者さんの表現が理解しやすい人と、医者の困惑が理解しやすい人と読者は二つにわかれると思うが、別にどちらでもいいのである。こんなことも思い出した。補聴器バスの巡回で県北の町に行った。私が診察した人々は、補聴器なしでは絶対に会話音はきこえない程の難聴であったが、バスの外にでてビックリ仰天。さっきまで「いつからきこえないか」「耳鳴りはするか」などの簡単な会話に「え?」「なんだベ?」と、四苦八苦していたはずの老婦人たちが輪になって世間話に花を咲かせているのだ。私はそっと近づいて聞き耳をたてた。案の定、話のつじつまは全然あっていない。しかし皆楽しそうなのである。一人が孫の自慢をすると、非常にいいタイミングで「んだからなー」「そんだ、そんだ」と相槌を打つ。話の内容はちぐはぐでも会話を楽しんでいる。コミュニケーションの原点ここにあり。なぜこのような話をするかというと、コミュニケーションの原点なくしては、その先に進まないものだなあ、と思うことが最近多いからである。
私は仕事がら小児のことばの発達、失語症(脳血管障害などによる言語機能の障害)の方と家族と接することが多い。ことばを伸ばしたいと思ったら、まず共感をもって相手の心に接することがなければことばは伸びない。失語症はショックな出来事だが、どうせわからないからという態度を周囲がとると本人は落ち込む。逆に相手がわかるように接する態度をとることで、コミュニケーションが改善することはよくある。この言外のコミュニケーションが秋田では豊かなのだと思う。国や地域によって異なるのは興味深いことである。
秋田魁新報 2001年9月23日