患者の皆様へ


patient

「怒りと不安」について(2010年6月掲載)

2010年6月

今回は、「怒りと不安」、この2つの嫌われ者の感情についてお話しします。

この2つの感情は、いみ嫌われるもので、人前で怒ったり不安がったりすると大概はマイナス評価を受けて損をします。いきおい、賢明な人達は少なくとも他人がいる前では上品に穏やかにふるまうのが普通です。

確かに怒りや不安の感情を表現するのは、社会的には自他共に損をするのが普通です。しかし、ここで強調したいのは、怒りや不安の感情が人間にとって無益かつ有害なものであり、そう感じることが「悪い」ことだとは言えないことです。

つきつめて考えた場合、人間(ヒト)も動物の中の1種類に過ぎないのは明白な事実です。当然、本来、動物が持っている原始的な感情をも受け継いでいるはずです。そう考えた場合、文明社会という便利な存在により我々の身が守られていなかった時代には、外敵に襲われたときにヒトは怒って敵と戦うか、不安にかられてその場から必死に逃げるか、どちらかを選ばなければならなかったはずです。そうすると、この2つの感情はヒトにとってはあって当たり前の感情であり、無いと奇妙だということになります。

このような発想で世の中を見てみると、この2つの感情は形を変えて社会全体の中に広く存在するようです。「強く抗議を申し入れたり」、「念のために保険に入ったり」することもこれらの感情の変形と理解できるのかもしれません。極端なことを言えば、ヒトを動かす基本的な力、原動力になっている場合も多いのではないでしょうか。「惜敗の悔しさを忘れず、猛練習し大会で優勝したり」、「試験の前に必死に勉強し無事に合格したり」することもこれらの感情と大いに関係があるのかもしれません。

こう考えてみると、少なくとも人間、怒ったり、不安になるのは当たり前だということになります。ただし、「怒り」や「不安」の表しかたがポイントで、社会的に認められる怒りや不安の表現もあれば、非難されるような表現もありそうです。たとえ話で言うと、これらの感情は原子力のようなものかもしれません。上手に原子力発電のように安全策を十分に講じたうえで平和利用すれば非常に役に立つし、原子爆弾にしてしまうと本人を含めて皆が損をする結果になってしまいます。「怒りや不安はあるのが当たり前だが、上手にそれと付き合い、活用していこう」、そのような発想が大事ではないでしょうか。

(この文章は原子力利用に関してなんらかの意見を主張するものではありません。)

図:「怒りと不安」について

ページトップへ戻る