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「あれも嫌、これも嫌」の考え方(2010年7月掲載)

2010年7月

神経症という病状があります(最近はこの診断名を使わない精神科医もいますが)。この病状の一部は、心理的葛藤(気持ちの整理がつかず、わだかまりを持ったままでもんもんとする)が持続することにより、心が疲れ果てて生じると考えられて来ました。

このような心境に人間がおちいってしまう時には、AとBの2つの考え方の間に本人がはさまってしまい、心の身動きがとれなくなっている事が多いようです。つまり、Aの方針をとるとある不都合が生じる。Bの方針をとると別の不都合が生じる。それでAにもBにも決めかねてしまう状態です。どちらをとっても不都合がそれぞれ生じる場合(片方では不都合が生じない場合はすぐに方針が決まります)に、AもしたくないがBもしたくないという心境で悩んだまま、動きがとれなくなります。人間なら誰でも持ちうる感情でごく自然なものでしょう。患者さんのお話を聞いていて、それはそうだなと思います。

このような「葛藤」は普通、本人が気づかない心の奥底で生じるのでなかなか当事者も周りの人達もそれに気づきがたいとされます。私も、よくお話しを聞いて、始めて、本人は「あれも嫌、これも嫌」の心境にあるらしいと気づきます。当事者になれば誰でも同じ思いを持ちそうだと感じることも多いのですが。しかし、残念ながら、現実は厳しいもので我々人間が選べる方針というものは常に限られています。AかBかどちらかに(中間に方針をとれる場合もありますが)決めざるを得ないことが現実です。そこで、このような心境になってしまった患者さんへの援助は、患者さんの悩みの仕組みをよく分析してあげて、患者さん自身がそれを理解してどの方針をとるか決断する、そのお手伝いをする事になります。時に、医者の方で決めてくれというメッセージをうけとる事もありますが、出来ない旨、説明します。この決断は患者さんの人生の過ごし方に関する事ですから、他人ではなく自分自身がしなければならないのです。精神科の医者が出来るのは、せいぜい、よく考えるとA,B2つだけではなく、更にC,D,Eの方針もあり得る、それぞれの長所、短所はこれこれだと説明し、患者さんが決断しやすいようにお手伝いすることです。

以上は一部の神経症のなおしかたに関しての私なりの考え方を紹介したものです。しかし、ご紹介したように、このような「あれも嫌、これも嫌」の考え方は健康で暮らしている普通の人間もよく持つ考え方でもあります。厳しい選択を迫られて思い悩む、出来ればどれも選びたくない、しかし、選ばなければならない、このような心境は健康な人々も現実社会でよく経験していることではないでしょうか。このような時にどうすればよいのか、残念ながら、答えはよくわかりません。上記のように、取り得る方針を全て確認してみて、そのなかで最も「ましな」方針を選び取る、我々普通の人間がストレスで消耗しつくさないためには、「あれか、これか」決断していく道しか無いのかもしれません。出るのは、ため息ばかりです。

図:「あれも嫌、これも嫌」の考え方

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